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とよしん言行録

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2004-11-12 [金] せつないねぇ [長年日記]

_ [日記][]増税かぁ

ワールドカップ本戦へ初めて駒を進めた日本の試合を自宅のテレビで観戦するべく家路を急いでいたあの日、私の右手のレジ袋には、こういった特別の日にだけ飲める特別な飲み物が2本だけ入っていた。その飲み物の名前は「キリン・クラシックラガー」かつての「キリンビール」である。キリンビールを飲みたかったのか、特別な試合を見たかったのか今となっては記憶が怪しいが、とにかく家路を急いでいたのはよく覚えている。道すがら季節的に窓を開け放した家々からは歓声が上がっている。歓声を聞くたびに歩みが速まる。

ようやくついた自宅で「キリンビール」を冷蔵庫に一度しまう。試合の途中経過を確認し、風呂を浴びる。風呂から上がる。グラスを取り出し、「キリンビール」を冷蔵庫から取り出す。栓を抜く。「シュッ」という小気味良い音がする。グラスに初めは勢いよく注ぎ、泡を立て、一度注ぐのを休む。泡が落ち着いてから慎重に注いでゆく。泡の表面張力を確かめるがごとくなみなみと。久しぶりの「キリンビール」は旨かった。やっぱり「特別」な飲み物は「特別」に旨かった。

ふと、今日立ち返って考えると、いつからビールが「特別」な飲み物になってしまったのか。私が幼かった頃、父は普段の夕食とともに「キリンビール」を飲んでいた。いわゆる晩酌というやつだが、晩酌でビールという文化が確かに存在した。テレビアニメーション「サザエさん」の波平とマスオの晩酌もおおかたビールだ。風呂上りの一杯目の味とのど越しに特化した「アサヒ・スーパードライ」の成功も晩酌にビールという文化が根付いていたからこそなのではないか?今の私の晩酌は発泡酒が常である。ビールが晩酌の主役に返り咲くために必要なのは、家庭内経済における晩酌経費の実情からみれば、発泡酒のビール並課税ではなく、ビールの発泡酒並課税なのではないだろうか?

酒の文化はスコッチの例を出すまでも無く、権力者の規制との戦いではぐくまれてきたものである。現政府はこの選択を間違うと日本から一つ文化を消し去ってしまうことになりかねないことを肝に銘じて舵取りをしてほしいと思う。


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